梟録

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松田芳和のブログです。一般企業に勤務しながら、名古屋大学大学院博士課程に在籍しています。専門分野は国際環境法と国際宇宙法。特にスペース・デブリの問題を研究テーマにしています。国際政治や歴史、防災、社会福祉にも関心あり。このブログでは、さまざまなテーマについて述べていきますが、最終的な結論を提示するものではなく、あくまでも序論的な考察となります。忌憚のない指摘を受けて、それを研究に活かしたいと考えています。

予防原則と新型コロナウイルス

新型コロナウイルスの感染防止策として日本政府が実施している措置について、「科学的な根拠がなく政治判断すべきではない」といった言説があるが、これには少し疑問を感じる。

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新型コロナウイルス対策の法整備について話し合う与野党党首ら(2020年3月4日朝日新聞

 日本における新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、2月28日に安倍首相は全国の都道府県等に対して、小学校、中学校、高校、特別支援学校の臨時休校を要請した。この措置は、あくまでも都道府県等の地方自治体に中央政府から「要請」するものであり、また中央政府に法的権限があって行われているものではない。休校の最終的な決定権限は、地方自治体にある。

 しかし、休校措置は突然の発表であり、全国一斉は前代未聞である。当然、野党やメディアからの批判が噴き上がり、休校に伴うリスクの発生(家庭内での子の安全面等)や、感染防止の効果などに関して追及がなされている。

 この措置に対する批判のなかには、どのような根拠に基づいて判断されたのかというものがある。安倍首相は、官邸が設置している専門家会議では対応策として休校措置が提示されたわけではなく、政府側の独自判断だと説明している。その政府側がどのような根拠に基づいて判断したのかが焦点になるが、現在開催されている参議院の審議では、安倍首相からは明確な根拠が示されていない。ただ、措置について検討をする暇(いとま)はなかったということを明らかにしている。したがって、少なくとも、専門家による科学的な根拠をもとに判断されたものではないことになる。

 そのため、科学的な根拠に基づかずに判断したことに対して批判が厳しくなっている。しかし、リスク対応の一つにある「予防原則」が、なぜそのような措置をとるのかについて一つの説明になると思う。予防原則とは、よく食品安全や環境保全の分野で取り扱われるものであるが、大まかにいえば、どのようなリスクや被害が発生するかについて科学的な根拠が確定していない状況にあっても、予防措置をとらないと被害が甚大になる可能性があれば、その予防措置をとるべきである、という考え方である。予防原則は学説において確定した定義はなく、どのような場面でも適用できるものではない。しかし、「科学的な根拠が確定していない状況」は、予防原則の重要な要素である。食品や環境の安全を重視する立場からは、むしろこの予防原則の適用が主張されるのである。したがって、一般的にいえば、科学的根拠がないなかでも政府が予防措置をとることについては、リスク対応として成立するのである。

 新型コロナウイルスが毎年流行するインフルエンザよりも感染による重篤化リスクが低いということを念頭に置く立場からすれば、「被害の甚大性」は低いと考え、休校措置はやり過ぎに見えるだろう。しかし、今後も感染が蔓延し続け、東京オリンピックパラリンピックの開催中止(あるいは延期)ということになれば、日本の経済的ダメージが大きく、政府としてはそこまでを「被害」に含めて、予防措置をとならないと「甚大な被害」を招くと考えているのかもしれない。

 いずれにしても、現代社会は、単に科学的な根拠がないからといって何もしないわけにはいかないことが往々にしてあるだろう。予防原則に基づく対応措置は、困難を乗り切る一つの策である。もちろん、今回の一連の政府の動きからは、予防原則の考えを踏まえているかどうかは読み取れないし、どのような過程で休校という提案が出てきたのかは問題として残る。未知のウイルスへの対応として政府の措置が適切であったかどうかは、さまざまな角度から評価する必要があると思う。